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『ひるね姫』-技術社会へ問題提起する爽快ロードムービー

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【概要】

時期:2017年冬公開映画

原作:―

作者:―

制作:シグナル・エムディ

 

【あらすじ】

時は2020年の夏でTOKYOオリンピックの開会式3日前。田舎に住む女子高生の森川ココネは父親のモモタローと2人暮らしで、勉強が苦手だったが快活でどこでも眠れるという特技を持っていた。だが、最近同じような夢ばかり見るようになり、やがて夢と現実がシンクロしはじめる。そんなある日、なぜか突然モモタローが警察に捕まってしまった。父親を助けるため東京に向かうココネの夢と現実をスリリングに行き来する冒険を通じて、ココネは私の知らない”ワタシ”を見つけることになる。

 

【おすすめポイント 】

君の名は。』でも夢がストーリーの重要な鍵になっていましたが、この作品では夢がまた違った意味をもっています。夢世界がまるで鏡のごとく現実世界を写しとっており、夢世界の事象が現実世界の何を暗示しているのかを推測するのが楽しかったです。また、夢と現実を頻繁に行き来しながらストーリーが展開されている点も特徴的です。内容としては父親を助けるために東京へ向かうココネのロードムービー的な要素が強いですが、メッセージ性が高く現代の技術社会への問題提起もしており、個人的には工学部生としても色々考えさせられました。

 

【レビュー】

とにかくココネが可愛かったです!あと熊のぬいぐるみのジョイにも萌えました。それだけでも観る価値があります。

〈ストーリーの解説〉

夢と現実の間を何回も行き来しながらストーリーが展開していて混乱している方も多いと思うので、ストーリーを解説しておきます(長いので必要ない人は飛ばしてください)。

まずは本編が始まるよりも前の出来事を振り返ります。ココネの母親の森川イクミは志島自動車の会長の娘で、自動車の自動運転の基礎的なプログラムを書き上げました。しかし、会長を含む他の経営陣の反対にあい、会社に失望し退社します。その後、父親のモモタローと半ば駆け落ちする形で姿を消します。退社後も父親や他の同志たちと共に自動運転の研究を続けますが、ココネを生んだ後に会長と和解しないまま事故で亡くなってしまいます。

その後、会社は自動運転の開発に乗り出しますが、父親は自動運転のオリジナルコードを会社に渡そうとはしませんでした。そのため自動運転の開発はうまく進みませんでしたが、娘への贖罪を果たそうとする会長の強い意向によって、できるあてもないのにTOKYOオリンピックの開会式での自動運転のデモを引き受けることになります、そんな会社の危機的状況に乗じて、渡辺(ヒゲ)が父親からオリジナルコードの入ったタブレットを奪い、会社の救世主となり会社を乗っ取ろうと計画したのです。しかし、渡辺の計画はココネたちの活躍によって潰えてしまいます。結果、ココネは自分の手で会長にタブレットを渡し、物語は大団円で幕を閉じます*1

次に夢のおさらいをします。現実の話と交互に出てくるハートアイランドでの冒険の夢は、ココネや幼馴染のモリオが父親から聞いたおとぎ話が元になっています。そしておとぎ話はココネの両親の過去の物語の隠喩に他ならなかったのです。おとぎ話では、ハートアイランド(会社)を治める王(志島会長)の一人娘エンシェン(イクミ)が魔力(自動運転技術)を使えるようになります。そのため、魔法を嫌う王様は姫を幽閉します(イクミが退社する)が、城を抜け出した姫は海賊っぽい男(モモタロー)と組んで、黒い敵をやっつけたり、魔法の開発を進めるなど、楽しい冒険をします*2

しかし、ココネが新幹線の中で見た夢の中でエンジンヘッドから転落するエンシェンが母親のイクミの姿になり、ココネはおとぎ話の主人公のお姫様が自分ではなく母親であったことに気づきます。ココネの夢は、もはや単なる過去の投影に過ぎない物語ではなく、自ら切り開いていくべき、現在進行形の物語になります。

会社のビルの外で会長と会ったココネは、自分が会長の孫であること、オリジナルコードを持っていることを伝える前に、渡辺に捕まりコードを奪われてしまいます。想像の域になるので詳細は不明ですが、ビル内の高層部でココネが渡辺ともみ合っているうちにタブレットが落下してしまい、タブレットを掴もうとしたココネは転落してします。落ちていく中で、(まるで死を悟った人間が見る走馬燈のように)ココネの意識はもう一度夢の中に落ちていきました。しかし、駆け付けた父親と自動運転中のハーツのおかげで無事救助されます。

 

〈エンターテイメントとして申し分ない出来〉

長くなりましたが、以上がストーリーの概要です。家族の分断と再生という、(吉本新喜劇でもよく出てくる)王道ストーリーが、説明臭くすることなく描かれて作品になっています。少しずつ情報を提示することで(しかもそのタイミングが的確)、観客も色々考えながらストーリーを追いかけることができます。そうやって観客を丁寧に誘導しつつも、急展開を挟むことでストーリーに緩急をつけています。特に、ココネが宇宙空間で落ちた直後に、現実でもココネが死にかけているカットが出たときのショックは半端なかったです。

このような物語の展開以外にも観客を楽しませる仕掛けがたくさんありました。家の中に入った渡辺一味に見つからないようにココネが隠密に行動する場面や、空港で渡辺からぬいぐるみとタブレットを取り返す場面など、観客である自分も思わず緊張してしまいました。また、ココネが夢の中と変わらずに現実でも自分の意志で自由奔放に行動している様子も痛快でした。幼馴染と二人で警察や悪の組織からの逃避行とかスリルがあって楽しそうですね。また、逃避行という緊急事態だからこそ、瀬戸大橋での滑空シーンの美しさが際立つようにも感じました。

 

〈夢の中だからこそできる表現〉

さて、この作品は夢という虚構の世界と現実の世界を行き来するのが鍵ですが、夢という題材が作品にどのように生かされているのかを指摘していきます。

夢を使ったストーリーテリングの手法が使われていますが、それが最も顕著に出ているのは、ビルの外でココネと会話していた会長が、ハートアイランドの国王になる以降です。もはや現実に生じた場面を写すことを完全にやめ、ココネの夢という虚構の画面のみで、物語が構成されていきます。この間に現実世界で何が起こったかは想像するしかありません。そして、ココネの夢の中のおとぎ話もフィナーレを迎え、その直後に現実世界のココロの物語もフィナーレを迎えるという仕掛けには驚きました。

夢の中の視覚表現が効果的だったことも指摘しておきます。CGで形成された瀬戸大橋は現実よりもはるかに長くくねくねしていて現実味がありません。そして、夜空の中瀬戸大橋を駆け巡る場面は、観客もその夢を視ているように錯覚し(映画館だとなおさら)、夢の中で感じるある種の万能感や、夢の中でしか存在しえない幻想的な景色を味わうことができました。

また、夢から得られた情報が、過去の出来事を知り将来の行動指針に役立てられていく様子が、世界的に神話や伝承や歌などの形でそれぞれの民族の過去の出来事や教訓が保存されている事実とかぶるような気がすると、個人的には思いました。そういった、遠回りな形で保存された過去は、適切な気付きを得て、実際に使える教訓や行動を指し示すものになります。おとぎ話が母親と父親の物語だと、新幹線の中でココネが気づいた時がそれにあたります。

 

ひるね姫のもつ強いメッセージ性〉

最後に、作品を観ている私たちに対して現代社会に対する強いメッセージを投げかけています。

ハートランドの描写に懐かしさを覚えた人は多いと思います。ハートランドの世界は、ソフトではなくハードが優先的に扱われていた製造メーカーの暗喩ですが、ハートランドの世界はスチームパンク(機械の動力として電気を用いず、蒸気機関のみが動力として使われる架空の世界)ではありませんが、スチームパンク的なものを感じます。それは、スチームパンクの世界もハートランドも現実に存在したもののもはや過ぎ去ってしまった機械文明を映しとったモチーフだという点です。こういう世界観もあるんだという、創作分野における新しい可能性を発見すると共に、このようにハード重視の世界観を「失われた過去の機械文明」だと考えたことは、ハード時代が完全な終焉を迎えつつあるのだなとしみじみと感じました。なんとかヘッドが黒い敵と戦うシーンでも、ソフトの時代を象徴するなんとかヘッドが、ハードの時代を暗示するハートに登場しているのは視覚的にかなりの違和感を感じました。ハードの世界とソフトの世界の間には大きな断層があります。今私たちが生きている社会は、MTからATへ移ったのとは比べ物にならないほどの劇的な変化が進行中なのです。なくなりつつハード重視の製造業への懐かしさを噛みしめながら、誰かこの過ぎ去りつつあるハード偏重の世界観に、「スチームパンク」のような適切な名前をつけてほしいと切に願うばかりです。

ではいったいどんな未来がやってくるのか。そのヒントとして、自動運転が魔法に例えられています。夢の中で魔法でぬいぐるみやバイクに自分の意志を与えている様子はおとぎ話のように感じられます。実際に、バイクのハーツは外部からの具体的な命令なしで*3ココロと父親を助けており*4、あながち夢の中の設定も空想じみたものではありません。「高度な科学技術はおとぎ話の魔法みたいになる」とはよく言ったものです。

しかし、過去や未来の技術社会うんぬんの話以前に夢の中の話が現実社会のきつい風刺になっていて見ていて辛くなってきます。虚構に過ぎない物語における現実の出来事だけではなく、虚構の中の物語における虚構の出来事までもが、私たち観客の現実世界への風刺や疑問提起をしている点。作品の冒頭に登場したハートアイランドの生き地獄のような通勤ラッシュ、理不尽な勤務体制、大量消費社会への疑問、ハード偏重の従来のものづくりなどは、明らかに日本の製造業への問題提起になっています。また、渡辺が自動運転が完成していないことをTwitterでリークした際にも、Twitterが呪いの黒い鳥としてハートランドやエンジンヘッドを襲い、実際に「炎上」させている描写がなされていました。

女子高生が全国を冒険活劇的な内容で、作中を通じて爽快な雰囲気を保ち続けながら、家族の絆を取り戻すというストーリーをなぞりながら、観客に対して技術社会への強い問題提起を行っており、非常に面白い作品でした。設定を東京オリンピック直前というごく限られた時期に限定し、風景などを現実に限りなく近づけることで、物語の中の現実パートが実際の出来事のルポタージュのようでした。恐らく数年も経つと映画の設定が現実世界に正確に当てはまらなくなるため、今と同じような強いメッセージ性を感じることは難しいと思います。

だから、今ぜひこのときにこそ観てほしい。

 

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*1:少し補足すると、会長がココネの存在を知らなかったのは父親が伝えなかったためです。伝える機会はいくらでもあったでしょうか、伝えなかったのは、渡辺に口止めされていた、妻を拒絶した会社と会長に関わりたくなかった、などの理由が挙げられますが、一番の理由はココネを巻き込みたくなかったからでしょう。ココネに母親について話すことはほぼありませんでした。

*2:ここでも補足をしますが、姫を国外に追い出すように要求してくる連合国は、自動運転に反対する国や世論の圧力の暗喩です。鬼については、何を表すのかは議論が分かれると思います。鬼が生じるのは、魔法(自動運転技術)が使える姫がいるからである、既存の技術では太刀打ちできず自動運転技術のみで解決しうる、ことを考えると、鬼が暗示しているのは世間からの目に見えない自動運転への圧力だと考えられます。タクシーやバスの運転手、自動車工場に勤める従業員など、自動技術は多くの人々の職に大きな影響を与えます。そして、魔法のみが鬼を退治しうるというのは、自動運転への否定的な意見やそれに関連して生じる会社への圧力を吹き飛ばすのは、自動運転の真価を世間に示していく他にはないということを示しています。

*3:どうしてそのときにハーツが会社に来ていたのかはちょっと分かりませんでした

*4:イクミがモモタローに向けて言った「あなたたちをいつか助けるわ」というセリフが伏線になってる