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『ハーモニー<harmony/>』-百合SFの傑作と称すべき作品

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【概要】

時期:2015年秋公開映画

原作:ハヤカワSFシリーズ Jコレクション『ハーモニー』

作者:伊藤計劃

制作:STUDIO 4℃

 

【あらすじ】

「大災禍」を経験した人類は、健康、幸福、社会の調和を極端に追い求めた結果、先進国などでは個人の体が政府に完全管理される超高度医療社会へと移行していた。だが、ミァハ、トァン、キアンという3人の少女たちは、そんな優しさと幸福に満ちたまがい物の世界を憎み、それに抗うために自殺しようとする。だが、自殺を完遂できたのはミァハだけだった。

13年後、真綿で首を絞められるような社会を嫌ったトァンは紛争の停戦監視の任に当たっていた。だが、同時多発的に人々が突発的に自殺するという事件が発生し、キアンも犠牲になる。犯行グループの声明からトァンは死んだはずのミァハの息遣いを感じ、調査を始める。

 

【おすすめポイント 】

夭折の天才、伊藤計劃SF小説が原作。極端な健康、幸福、調和を追求するディストピア的な社会が舞台であり、細かい設定や雰囲気がリアルに設計されているため、本格的なSF映画になっています。

その一方で、ミァハとトァンの百合描写が多く、2人の関係性も本作の大きなテーマになっているので、百合好きにもおすすめです。過去にコミック百合姫での連載が検討されていたくらいです(結局、月刊ニュータイプで連載されることになりましたが)。2人の関係性が尊いです・・・。

 

【レビュー】

ディストピア的世界観をどう受け止めるべきか〉

健康的で社会の調和を極端に重視し、WatchMeによって監視され牢獄のような社会になった日本などの先進地域。一方で、殺戮が行われ女性や子どもがレイプされるチェチェンなどの紛争地域。どちらも地獄のような世界です。あなたならどちらを選ぶのでしょうか。トゥアレグ族バグダッドの塀の外側の人々のように、中庸を模索しようとするのでしょうか。それともそれらを超えた「向こう側」へ行こうとするのでしょうか。

医療機器や情報処理技術の向上により、自分の体がサーバーを通じて政府に管理される社会の到来はそう遠くないのかもしれません。現にウェアラブル端末の開発や脳科学の発達など、既にその兆しは見られます。そうした管理社会への態度は大人と子供で異なるようです。大災禍を憶えている大人たちと違い、体が成長していく様子が監視され、大人になれば自分の体がもはや自分のものではなくなる社会を拒絶した子どもたちの自殺が相次ぎます。

 

〈ミァハとトアンが採った選択とは〉

物語はトァンが事件の調査をしながら、隠されたミァハの過去を探っていく過程を軸に、子どもの頃にミァハと過ごした時間を振り返りながら進んでいきます。

先天的に「意思」を持たなかったミァハが意思に目覚めたのはあまりにも悲惨な状況でした。チェチェンの薄汚れた売春施設で、ロシア軍兵士にレイプされながらトカレフを口に突っ込まれたとき、ミァハの意思は生まれました。その後ミァハは日本で保護されるも、閉塞した社会に憎しみを覚え、それに反抗するために自殺未遂に至ります。

自分の体がほしいままに凌辱された紛争地域と、自分の体が政府に完全管理された社会。両極端に異なった2つの地獄を経験したミァハは、人類社会に復讐するためにハーモニー計画に関与するようになります。もしかすると、それは復讐だけではなく、他ならぬ彼女自身が意思を持たなかった幼い自分へ回帰したかったからかもしれません。突然現れた意思という存在を持て余してしまい、そして意思をもった彼女にとって世界は常に残酷だったからです。

そんなミァハと再会したトァンは最終的に彼女の願いを受け入れます。しかし、トァンの愛していたミァハは、社会に憎しみを覚え抗おうとしていた、自分の意思をもったミァハでした。結果、トァンはミァハの殺害を決意し、ミァハも微笑みながらそれを受け入れます。

ミァハを殺害した後トァンはどうなったのでしょう。今度こそミァハと共に心中できたのか、それともその後も生きながらえて意思を奪われたまま生き続けたのかは分かりません。しかし、私にはこの疑問を突き詰めることに本質的な意味を見出しません。なぜなら、意思を失い全てが自明となった人間は死んでいるのも当然だからです。

最後に、ハーモニープログラムが実行され、人々の意思が消え、摩擦もなく滑らかで優しい世界が完成する様子をキァンが見届けます。トァンの思想を否定し、超健康社会の中でトァンへの自責の念で苦しんでいたキアンが、世界が完全に自明なものになっていく様子を見て何を思ったのかは想像するしかありません。

 

〈文学作品をどう映像化するか〉

最初に私が驚いたのはミァハの声です。トァンの回想の中で初めてミァハの声を聞いたとき耳がざわつくのを感じました。確実に狂っている、けれど美しくて、ずっと聞いていたくて、余韻が頭に残る声でした。トァンだけではなく、自分自身も気をしっかり持たないと魅惑されてしまうような雰囲気が漂っていました。

難解なテーマを扱っているためか、全体的に無駄な情報を一切そぎ落とし、演出を極限までシンプルになっています。また、超高度医療社会の不自然さがよく表現されています(特にトァンとキアンが食事をするシーン)。

また、他の人物が主体であるシーンは全くなく、トァン自身の体験や回想しか画面上で表現されていません。普通なら、他の人物視点のシーンや回想シーン(ミァハの凄惨な過去や父親のヌァザの研究の様子やキァンの普段の様子など)が映像化され、その人と映像を観ている観客のみが映像を共有し、トァンが観ることはありません。しかし、そういった演出を排除し、敢えて視聴者もトァンと同様に、語られる言葉のみからそれらを想像する余地を残しており、文学的な雰囲気も残しています。

一方でアニメだからこそ成しえる表現もありました。最後の10分で、2人がチェチェンの軍施設で再会し、語り合い、ミァハが殺害されるシーンは、演出が秀逸で心が動かされました。物陰からミァハが飛び出し、かつて自分がレイプされたベッドの上で妖精のように飛び跳ねながらハーモニー計画を告げる。朽ち果てた売春施設の中で、光り輝くミァハと暗闇に佇むトァン、そしてミァハに導かれるように光の中に出てミァハを受け入れ、共に「向こう側」へ旅立っていく。その様子が視覚的にも余すところなく表現されていました。

 

〈トァンとミァハの関係性の尊さ〉

最後にトァンとミァハの関係性について述べます。この作品はSFとして来るべき超高度医療社会への問題提起という要素もありますが、物語を動かしているのはトァンとミァハのエゴです。社会に復讐しようとするミァハはもちろん、トァンについても関心事はミァハのことだけであり、世界を救ってほしいという父親や上官の願いを裏切っています。これは世界の行く末よりも自分たちのエゴを優先しようとする百合の物語であり、そうした視点で見るとまた違った楽しみ方ができます。

ニヒルなふりをしているけれど本当は臆病で、ミァハへの憧れや愛情を隠せないトァン。一方で自分勝手でカリスマ性にあふれていてクールだけど、「向こう側」へ一緒に行く人を求め、自分を理解してくれるトァンを求めていたミァハ。意思をもったまま2人が添い遂げることができて本当に良かったです。

2人の百合を見ていると、様々なものを感じ取ることができます。少女特有のけだるさ、社会への反抗心、友情とも憧憬とも区別できない感情、ずっとこのまままどろんでいたい感じ、狂っているけど素敵なことに心酔する様子、互いの存在を確かめるかのように体を寄せ合うときに見せる恍惚とした表情など、はかなくも美しいものがたくさん散りばめられていました。そうした尊くも世界を破滅へと追いやった2人の百合の在り方について思いを馳せるのもいいかもしれません。

 

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